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親子三代にわたって鼻緒の魅力を追求|はな壱

Update: 2021.12.22|CategoryTOPICS, よみもの

和装に欠かせない草履や下駄、雪駄。まさに日本の伝統を象徴する履物だが、その出来栄えや装飾性を大きく左右するのが鼻緒だ。しかし鼻緒を手仕事で作れる職人は、もはや片手で数えるほどにまで減少したという。足立区の関原銀座会に拠点を置くはな壱は、そうした希少な鼻緒職人が在籍する企業のひとつだ。
もともとは、鼻緒製造を営んでいた初代・柴田勝太郎氏が戦時に空襲に襲われた浅草を逃れ、1924年に台東区橋場で「柴田鼻緒店」を開業したのが創業の経緯。その後は、多くの同業者が軒を並べていたという足立区関原に拠点を移し、現在は創業者の孫にあたる柴田一郎さんが三代目代表に就任。内職を含めた全4名で鼻緒を製造している。

たかが鼻緒と思うなかれ。履物を構成する部品のひとつだが、その作り方や取り付け方ひとつで履き心地は大きく左右する。
「婦人用の草履はきらびやかな装飾性が注目されますが、履き心地も大切です。そのためうちでは中に入れる芯材にこだわり、生地の種類や厚みに応じて素材を変えるのはもちろん、オリジナルの芯材も開発しています。一般に『草履は鼻緒が痛い』という声もありますが、それを聞くと鼻緒職人として心が痛みますし、ぜひ当社の鼻緒を使ってみてほしいという気になりますね」
草履を履くことにネガティブなイメージがつきまとうようでは、消費者を失いかねない。はな壱は、顧客に寄り添ったモノヅクリを実現したいと考え、日々工夫を凝らしている。こうした点が評価され、はな壱が手掛けた履物はほぼすべての有名百貨店に置かれている。

柴田さんは大学卒業後に自動車部品メーカーに就職するも、終身雇用制の崩壊が叫ばれた時期で、家業である鼻緒製造の独自性に注目するようになったという。
「私の親は中卒で、子である私には『勉強して立派な企業に勤めてほしい』という想いがあったのでしょう。『家業を継ぎたい』といったときは大反対されましたけど、どうにか拝み倒して鼻緒製造に携わるようになったんです」
そうして部品メーカーを辞めた柴田さんは、父の下で鼻緒製造に携わることに。「技は見て盗め」という職人気質な人だった。
「直接言葉では絶対に教えてくれなくて。たとえば私が『うまく完成した!』と思った鼻緒が、翌朝になると少し形が変わっているんです。これじゃ通らないからと、夜中に親父がこそっと直しているんですね。『勝手に直しやがって』とこっちも頭にくるのですが(笑)、父親としてはそういう形でしかうまく伝えられなかったのだろうなと思います」
そうした師弟関係が10数年続いた後、父が突然病に倒れ、帰らぬ人に。思いがけず、柴田さんは30代と若くして三代目を継ぐことになった。

ふと周囲を見渡せば、周囲の仲間が少なくなっていたことに気づいたという。鼻緒は織物や芯材、ひもなど、さまざまな部品の製造や加工を複数の職人が手分けして行う分業体制が敷かれていたが、どこの職人も高齢なうえに後継者が不在で、次々に廃業。結果、鼻緒製造に関する多くの領域を柴田さんが一手に引き受けるようになった。
「おかげさまで鼻緒製造のほとんどの工程をできるようになりましたけど、それをできる鼻緒屋さんは都内では私一人だと思います。絶滅危惧種ですね(笑)。歌舞伎の世界のように技術を門外不出、一子相伝で継承させる文化があったため、後継者不在で希少な技術が失われてしまっているのです。それではあまりにもったいないし、業界が衰退してしまいますので、私の代では技術をオープンにするよう努めています」

 

和装愛好家の減少とともに、鼻緒の需要は右肩下がりにあるという。
「10数年前は、鼻緒職人が減ったことで私の仕事自体は相対的に増えたのですが、2011年に東日本大震災があって消費者の財布の紐が一気に固くなってしまいました。それからしばらくして持ち直していったのですが、次はコロナ禍がやってきて。和装というのは外出して人前に出ることが肝。外出が制限されてしまったことで売上がガクンと下がってしまったんです」
こうした状況を打破すべく乗り出したのが、BtoC製品の製造・販売だ。

 

スニーカーのクッション材として使われるEVA素材のベースに鼻緒を取り付け、下駄とビーチサンダルを融合させたような履物「ポンダル」を開発。

 

作りは本格的なままに、伝統的な和柄からカラフルでモダンな柄まで、多彩なバリエーションを展開。クラウドファンディグサイトで展開したところ、目標の2000%超えとなる200万円以上の金額を集めることに成功した。
「和装だけだと、鼻緒の需要がどうしても制限されてしまいます。サンダルがタウンユースで履かれているように、鼻緒を使った履物もカジュアルに使ってもらいたいと考えたのです」
現在、「ポンダル」ははな壱のアトリエやECサイトで販売中。また東東京モノヅクリ商店街の協力を得て、ブランド力の強化や認知の向上を図っていく考えだ。

和装業界の先行きは明るいとはいえないものの、独自に開発した「ポンダル」の反響を目の当たりにすると、鼻緒にはまだまだ大いなる可能性が眠っていると柴田さんは確信する。
「ポンダル」を含め、こういった日本生まれの履物があるんだよということをもっと広めていきたい。小ロットで別注品を作ることもできますから、より多くのアパレル関係者への認知が広がれば、また新しい鼻緒の活用法も生まれるかもしれません。ちょっとずつでも、多くの人に鼻緒の魅力が伝わればいいなと思います」

INFORMATION

鼻緒匠 はな壱

〒123-0852東京都足立区関原3-8-7
TEL: 03-3880-1584
【オンラインショップ】